インターネットによる社会変化と保健医療福祉

中山和弘

愛知県立看護大学紀要第4号,p.57-65,1998.

 

I. はじめに

 

 日本の保健医療福祉の領域では、欧米などと比較して、情報やデータを収集したり、それを分析した結果に基づいて意志決定をする習慣が不足しているといわれる。このことは1994年の厚生省の保健医療情報システム検討会中間報告(1)においても指摘され、「わが国の保健医療情報システムの目的は、主として保健医療サービスを提供する上での効率性の向上に向けられており、保健医療関係者などの意思決定者がデータに基づいて客観的意思決定を行う際の情報支援に用いられることは比較的少ない。」としている。

 このような状況で、その翌年の厚生省の保健医療福祉サービスの情報化に関する懇談会の報告書(2)では、「地域の身近な保健所、市町村保健センター、医療機関等で病気の予防や健康増進、高度な診断治療等の健康情報が手軽に利用できる総合的ネットワークの整備が必要である。」と述べられている。そこでは、「市町村を中心とした保健医療福祉サービスの提供と連携」により、すべての地域の施設のネットワーク化をすすめ、全国へひろげるというものである。こうして各地でネットワークの重要性が叫ばれているなか、サービス提供における客観的な意志決定に使おうという試みとして、各医療機関から治療の情報を収集して利用するという動きなどがはじまってはいる。

 確かに、そのような客観的な意志決定のためにインターネットはおおいに有効である。しかし、それが保健医療福祉において果たす役割は、専門家のネットワークやそこからの情報提供の範囲にとどまらない。大江(3)は「インターネットは、コンピュータネットワークをインフラストラクチャとして発展している、知的な井戸端会議の要素をもった、立派なコミュニティです。そのベースにあるのは、自己表現欲と知識収集欲と、そしてボランティア精神です。人に教えたい、知らせてあげたい、見てもらいたい、そういう気持ちが世界中にあふれていることが、GopherやWWWを使ってみると肌で感じられることでしょう。このような素直な感情は、病気を治してあげたい、困った人を助けてあげたい、喜んでもらいたい、何かしてあげたい、といった医療に携わる人たちの基本でもあります。」と述べている。専門家のみならず患者や障害者あるいはすべての市民のネットワークも大きな役割を演じようとしているのである。

 こうしたインターネットの可能性について政治経済などに関連した社会変化から語られたものは多い。しかし、保健医療福祉の領域では、そのネットワーク化については多く語られているが、インターネットの特徴やその発想や考え方をもとにその可能性を検討する作業はまだ多くは見られない。そこで、ここでは、インターネットによる社会変化の可能性をその保健医療福祉での可能性と結びつけながら検討してみたい。

 

 

II.インターネットによる社会変化

 

1.自律分散ネットワークによる結びつき

 インターネットとは「世界中のすべてのコンピュータをつなぐコンピュータ・ネットワーク」である(4)。また、「ネットワークのネットワーク」ともいわれ、さまざまな形態で結ばれているコンピュータのネットワークどうしをさらに結びつけていく(4)。しかし、それを利用するすべての個々人を統一して管理、登録する仕組みはないしその必要もない(5)。個々のネットワークが、それぞれ自律的に管理運営をしていて、それらが結びついていればよい。インターネットは網の目のようにつくられている。どこかのルートで障害が生じてもそれ以外の部分で結びついているルートがあればネットワークが維持できるように分散化されている。

 それぞれのコンピュータやネットワークの利用の仕方は、ネットワークの管理主体の自由と責任で行われる(5)。その管理主体は、行政や特定の施設のように人を管理するということはなく、ネットワークを管理し、ネットワークの内外での情報のやりとりの確保に対して責任を持つ。こうした自律分散型のネットワークの形態をとることによってネットワーク個々の違いを越えて、どことでも誰とでも情報の交換、共有が可能となっているのである。このようなネットワークの構造自体のありかたが新しい社会のありかたの1つのモデルともなっているともいえる。個々の背景の違いを乗り越えて、共通の関心や目標さえあればどことでも結びついていける可能性を提供している。これは、保健医療福祉においてもそれに関心のある人は誰でも交流できることを可能にしている。

 

2.情報の高速化と新しいコミュニティ

 そこに参加する個人は、自分が必要な情報に関するさまざまな世界中のホームページに簡単にアクセスできる。また、情報を見るだけでなく自分から質問や意見を掲載することもできる。そうすれば、それを見た人から世界中どこからでも、その質問や意見に対する回答やヒントがその場に掲載されたり、メールで送られてくる。これがインターネットがもつ大きな特徴のひとつ、双方向性である(4)。

 とくにテーマや問題を共有したいグループにとって便利なものが、ニューズ・グループ(電子メール型電子会議)である。また、ホームページ上の掲示板やチャット(リアルタイムで複数の人とメッセージのやりとりができる、各人の打ち込んだメッセージが次々と表示されていく)などでも情報の交換ができる。メーリングリストを用いることによっても、グループの全メンバーで会議ができる。メンバー共通のアドレスを作成し、そこに送信すれば同じメールがメンバー全員に一斉に届くからである。インターネットの普及以前からもNifty-serve、People、PC-VANなどのパソコン通信では、テーマごとにフォーラムなどで同様の活動が展開されてきていた。これらは、入会手続きや接続料などが必要であるが、これらもインターネット上からのアクセスが可能になってきた。

 萩平(6)が指摘するように、これまでの医療現場では、たとえば困難な症例の対応方法を相談できる相手は直接の上司か、大学医局のスタッフなどに限られていたのが、メーリングリストではより多くの人の意見を聞くことができる。日本の医学系ネットワークではクローズドなニューズ・グループとしてjpmedなどが著名で、病原性大腸菌O-157の情報の一元化にも貢献した。

 このような医療関連のものもあるが、障害者関連のものも多く、そこでは障害者以外の参加者が多いことが特徴的である。障害者の場合、情報提供の仕組みが弱く、自ら情報を入手するための道具や情報が行き渡っていない(7)という状況がある。そのため、これを変えていくための取り組みが必要とされ、その協力のためにさまざまな人が参加しているのである。すでに以前からパソコン通信によって、地域に根差した障害者関連の草の根BBS(Bulletine Board System:電子掲示板)というネットワークは全国で30ほどある(8)。これらは日本障害者協会(JD)の呼びかけで「ネットBBS」としてメーリングリストを利用することでネットワーク化されてきている。また、厚生省の委託で日本障害者リハビリテーション協会が運営する全国規模の利用者参加型のパソコン通信ネットワークとしてノーマネット(NORMANET)が創設された。

 こうしたインターネットの機能を用いることによって、個々人は意志決定の速度を従来よりも早く、かつ内容も的確にすることが可能になることが期待される(5)。たとえば、医者、看護婦などの専門家と患者・障害者・高齢者・その家族の知識量の差を埋めるということができる。このような知識や情報を提供する人々は、阪神・淡路大震災以来用いられるようになった言葉であるが、「情報ボランティア」(9)ともいうことができる。

 このような人々の協力により、新たな助け合いのコミュニティが形成される。これは、情報コミュニティ、バーチャル・コミュニティ、電子コミュニティなどと呼ばれ、さらにグローバル・コミュニティとして『地球村(Grobal Villege(10))』などとも表現される。ここでは、世界の距離を越えて、共通の関心、夢、目標を持つ個人やグループどうしが低コストでオンラインで交流できる。

 世界でインターネットを活用して活動を行っているもので、保健医療福祉とも関連の深い、平和、環境、労働、女性、人権などをテーマとした、PEACENET、ECONET、LABORNET、WOMENSNET、CONFLICTNETなどが著名である。これらはインターネットによる活動のためにつくられたNPOであるIGC(Institute for Global Communications)によってさらにネットワーク化されている。このほかにも、WHOなど世界の保健や公衆衛生関係の研究者などで作られたグローバル・ヘルス・ネットワーク(GHNet)(11)や、その他多くの発展途上国の援助などを含めた国際保健関連のネットワークがある。

 こうしてグローバルに活動できることも重要であるが、インターネットではローカルに行動するうえでも効果的な利用が可能となる。ある範囲の地域での情報ネットワークは即座に行動に移せる点で有効である。たとえば、大分県のネットワークCOARAでは県内の個人・グループ、研究ネットワークにくわえて他府県や世界からの参加がある。このような異なるものどうしのコミュニケーションによって地域を活性化する例が見られるようになってきている。

 とくに保健医療福祉のような活動とその支援のための地域内ネットワークでは、地域性のある情報をデータベースとして保存、更新し、必要なときにいつでも検索できるようにしていくことが望まれる。たとえば、高齢者の生きがいや生活の質を高めるなど参加型の生活支援ネットワークを地域に根づいたかたちで作り出すことができる。介護の問題にしても、現状では介護者や家族の支援も重要であり、ネット上が情報交換や相互理解の場になると同時に、実際の生活における援助につながる活動が展開できる。

 

3.タテ型社会からヨコ型のネットワーキングへ

 こうしたさまざまな活動が展開可能であるインターネットはグレート・イクォライザー(Great Equalizer)とも呼ばれる(5)。強力な平等化装置ということであるが、これはすべての利用者に発信者としての能力を等しく提供できる可能性をもとにしている。インターネットの特徴としてあげられる対等性というものである(4)。一方では、人々を情報という商品の消費者としてきわめて受け身的な立場にする可能性もありはするものの、消費のみならず情報の生産者になることが可能である(5)。

 そして、発信者は誰でも構わない。小さな草の根からのパワーを生かすことができるし、発信者が主体となったネットワークづくりも可能である。個人でもグループでも小さな存在が大きな存在と対等に発言ができる。その点では、民主的な対話を促進できる現代におけるもっとも重要な技術利用例であるという指摘もある(12)。それを支えるのはその背後にある民主主義、市民社会の活力である。情報は「民主主義の通貨」ともいわれるが(12)、これはさらに端末からの国民投票などを用いた直接民主主義の可能性も含んでいる。

 こうして市民の参加と決定権を増大させるネットワーキング(13)-(15)によって、社会の仕組みを伝統的で権威的なタテ型から誰もが参加できるオープンなヨコ型へ変えていく可能性がある。市民が産業や政府を動かせるようになる。保健医療福祉の領域でも、患者や家族、厚生省、製薬会社、医師会、大学医学部など、これらをめぐるしくみ、システムを変化させることができるかもしれない。

 臨床医などもほぼ徒弟制度に近い形で、限られた方法だけが伝承されてきて(6)、タテ型であるがゆえの弊害もある。プロフェショナルの判断と技術を信頼し身を委ねていれば良いとするパターナリズム(16)からも脱却が必要である。山上(16)は「関係学会や所轄官庁によって認知された治療法のみが評価を持つと主張する意見、医師が模範とすべき治療法や診断法は、New England Journal of Medicine上にあるとする主張はインターネットに代表される情報化の動向に真向から対立するものである。」と指摘している。

 そういった既存のシステムをあてにせず、自分たちの生命や健康や生活の質を、できる限り自分たちで守りたいというさまざまな活動も起こってきている。たとえば、水仕事による手荒れ、子供のアトピーなど生活上のさまざまな疑問から、合成洗剤や農薬、化学薬品などへの関心を持ち、その問題に気づいていてもどうしていいかわからなかった人たちが結びついていける。そして、生産者との会話によって、作った人の顔が見える安全な食品、たとえば無農薬野菜、無農薬飼料の食肉などの注文、購入などを行うことができる。インターネット上で健康関連のホームページを探してみると、医学や医療に関するものもさることながら、それ以外の方法で健康を守る新しい活動も目を引く。とくにアメリカのホームページを見れば顕著であるが、Natural、Holistic、New Age、Loveなどをキーワードにした、自然食品、健康食品やヨガ、気功、針灸、マッサージなどのAlternative Medicine(いわゆる日本では民間療法など)についてのものはその数の多さに驚かされる。アメリカの70年代からのセルフケア・ムーヴメントやホリスティック・ヘルス・ムーヴメント(17)は、インターネットの歴史とともに息づいているといえる。

 このような既存のシステムにはないとしてもこれからは必ず必要であると思われる新しいチャレンジについて情報発信がすぐにできる。このとき市民運動(18)などさまざまな市民活動、とくにNPOは今後ヒューマン・サービスにおいて大きな役割を果たすことになろうが、これらの活動にとってインターネットは貴重なアピールと情報交換の場となり、そこに大きなチャンスが待ち構えている。そして、現在の状況に少しでも疑問を感じたり、問題や困難を抱えている人たちは、すぐにその情報を得て、行動へと移せる。そのようなさまざまな目的を持ったコミュニティが、従来の政府、自治体、企業などとともに解決を図っていくという、コミュニティ・ソリューションに期待がよせられている(19)。ネットワークあるいはネットワーキングという言葉とともに、従来から社会学や保健福祉関係で議論されてきたコミュニティという概念も、ここにきてインターネットの普及によってあらためて注目されていると思われる。

 

4.インフォームド・アクションの保障

 インフォームド・コンセントの議論でいわれるように、患者あるいは消費者が情報を得る権利(20)の重要性が指摘されているが、もちろんこれは保健医療に限った話ではない。情報公開の要求など、一般市民全体にとって必ずしもすべてを他人任せにできないという動きがある。市民にとってインフォームド・アクション(情報を得た行動)(12)が保障されることが求められてきている。

 政府・行政など公的機関の情報公開については、その情報が税金でつくられた資産という見方をすれば当然のことである。そしてさらに、草の根の人々が情報を持てば政府や行政をより責任を持ったものにしていくことができるという見方もある(12)。

 とくにアメリカでの市民運動のインターネット上の力はかなり強いという。ロビー活動などでは、1度に多くの人にメールを送ることができるメーリングリストによって、政治家の発言や意見などをその日のうちに一斉に送信し、電話やファックスの山で意見したり抗議したりしているという。そのアメリカの市民運動は、60年代のCIAと同じ情報収集能力を持っているという指摘もある(12)。

 

 

III.インターネットにおける課題と問題点

 

1.ユニバーサル・アクセス

 郵政省の電気通信審議会の答申では、「個人や組織の活動が情報通信に依存する度合いが高まるにつれ、情報面での格差が、社会・経済面での格差に直結する。このため、全ての人々に対して、非差別的に、かつ、適切な価格でネットワークを利用して情報を発信し、また、情報にアクセスすることが保障されなければならない。21世紀に向けたグローバルな知的社会においては、これらの『情報発信権』及び『情報アクセス権』を基本的人権とも位置づけて、その内容の充実を図ることが必要である。」と記されている(21)。

 インターネットによる社会変化にともないインターネットへだれもがアクセスできるようになることが不可欠である。これをユニバーサル・アクセスあるいはユニバーサル・サービスという。アクセシビリティに格差があれば、情報貧者あるいは情報弱者が生み出されてしまい、さらに格差は拡大する。Great EqualizerどころかGreat Dividerともなりえるのである。アメリカではユニバーサル・アクセスはすでに市民運動のキーワードにもなっている(12)。そのためには、大学・公共機関・その他非営利団体などへ無料でアクセスできるように保障していくことなどが重要で、アメリカではそのような動きが進んできている。また、市内電話の無料化や低料金化ということも電話による接続の場合には大きい。家庭からはできるだけ無料にし、必ずしも家庭からでなければ、近くの図書館などの場所でも自由に触れるようになることが必要である。

 また、国連の「障害者の機会均等化に関する基準規則」(22)では「どのような種別の障害を持つ人に対しても、政府は、−中略− 情報とコミュニケーションへのアクセスを提供するための方策を開始すべきである。」「障害を持つ人と、適切な場合における、その家族と権利擁護者は、全ての段階における診断・権利・利用できるサービスと計画に関する十分な情報を入手できるべきである。このような情報は障害を持つ人が利用できる形態で提示されるべきである。」としている。このための情報福祉機器の開発も進めていく必要が大きい。すでにさまざまな取り組みや議論が行われているが、企画・開発段階からの障害者とエンジニアのコミュニケーションが重要であり、そこでもヨコのつながりが不可欠である。さらに、患者・障害者であっても病院など入院や入所による情報アクセスへのハンディキャップがないようのすべての施設でのネットワーク化も重要となる。

 さらに、インターネットは障害者や高齢者の在宅勤務の可能性に結びつく。そこでの課題はコストや技術、企業の対応能力であって、障害の程度はほとんど問題ではないといわれている。問題は、企業が障害者の条件に対応するのが難しいということである。したがって、そのあいだに入って、障害にあわせた能力開発や就労のサポートをする支援組織が必要とされている。すでにさまざまなNPOなど、市民レベルから企業、官庁にいたるまで盛んな活動が展開されるようになってきている(23)。それらの活動で障害者たちはアメリカでの新しい呼称であるチャレンジド(Challenged、神から挑戦すべきことを与えられた人々)と呼ばれている。

 

2.ネットワーク管理者の負担と権限

 現在でこそ、多くの組織でのインターネット導入は一般的なことになってきている。しかし、数年前までは、何のために必要なのかを理解してもらうのに大変な労力を費やしていた場合も少なくなかったと思われる。逆に、インターネットが一般的になり、しかもそれが簡単なものであると紹介されているために、機材だけを導入しその管理体制を軽視している場合も多く見られる(24)。さまざまな組織内のネットワークの運用・管理はボランティアでささえられている場合も少なくない。端末利用者にとっては、モデムやケーブルの接続に過ぎないことで、電子メールもホームページも簡単に見える。ところが、それが接続されている先でのサーバなどの管理業務に対する理解がまだ十分になされていない。実際、ある程度の規模になれば片手間でできる仕事ではない。

 専門的なシステム管理者が適切に置かれていないところでの、ボランティアの負担は大きい。とくに最近になって、セキュリティを破る不正なアタックや迷惑メールの送信などが頻発している。そのため個人情報の管理も管理者の責任となり、技術的に対応できないことまで対処が強いられことは大きな重荷となる。新しい技術の場合、理解がなかなか進まないのはしかたがないことかもしれない。それでも、インターネットでも箱もの行政のようなかたちが多く見られるのである。とはいえ、それがすべての組織の現状ではないので、管理者の有無については組織間の格差が大きく、その場合は負担感にも開きがでてくる。インターネット導入に当たっては、他のネットワークに迷惑や被害を及ぼさないためにも、適切なシステム管理者をおくことが不可欠である。

 また、管理者の権限は大きいがゆえに生じる問題もある。管理者はすべての電子メールを見ることができるなどすべての権限がある。組織内での利害や対立などがある場合など、その組織が民主的であればよいが、家族主義的であったりする場合は、管理者がユーザを差別をしたり、逆にそれを疑われたりするなど、さまざまな弊害も予想される(18)。

 

3.データベース化と情報公開の促進

 インフォームド・アクションの保障のためには、さまざまな情報が公開されていかなければならない。政府・行政の対応もさることながら、教育研究関係では、学術雑誌などのオンラインでの公表をめぐる著作権の問題や、その無料化の問題などが生じてくる。

 「患者の権利に関するWMAリスボン宣言」(20)では「患者は、いかなる医療上の記録であろうと、そこに記載されている自己の情報を受ける権利を有し、また症状についての医学的事実を含む健康状態に関して十分な説明を受ける権利を有する。」とされている。カルテの公開など患者・障害者の情報を得る権利が保障されなければならない。

 ただし、情報公開以前に日本においては、欧米と比較してデータベース化が進められていないものが多い(1)。その情報そのものが日々最新情報に更新され、いつでもすぐに検索できるようなかたちになっていないことが問題である。コンピュータの普及や教育・学習の程度の問題もあるが、ワープロや表計算ソフトばかりが普及しても、データベース化は進みにくい。情報の公開あるいはその共有という目的を明確にし、コンピュータの利用法に対する考え方を問い直していく必要があると考える。

 またさらに、欧米では政府や行政のみならず個々の研究者などが行ったさまざまな調査データについても素データのまま公開され、それを共有の財産と考えるようになってきている。日本でもこのようなしくみや習慣づくりを進めていけるようにすることが必要である。

 

4.情報選択能力、情報リテラシー

 今後ますます情報が公開されたり、多くの人や組織が情報を発信するようになり、流通する情報量が加速度的に増加した場合、そこから情報を探すための負担も同様に増加する。これに対応するために、さまざまな検索のシステムなど情報の整理や情報の配送のためのシステムも増加してきている。それでもいずれにしても利用者はそのシステムをも選択して情報を得なければならない。

 たとえば、O-157に関する情報は、インターネットでも各大学や病院が多くの情報をホームページで提供し貴重な情報源となった(16)。しかし、なかには治療方針が確立しないまま情報提供したところなどもあって、情報の統率がとれないまま混乱が生じたという指摘もある(6)。

 インターネットにおいては個々の情報を信用するか否かについては、その受け手が責任を負う。しかしすべての利用者がその前提の上で利用しているとは限らない。なかには、ワラにもすがる思いで情報を探している利用者もいるだろう。したがって、その莫大な情報の蓄積のなかから一部を選択しているあるシステムについては、その選択方針を信頼するかどうかという問題が生じる。たとえば、行政や教育研究機関などのホームページにおいてさまざまなホームページへのリンクが行われていた場合、その機関はそのリンク先の情報を信頼しているのだという印象を受けかねない。

 健康情報や福祉情報などにおいては、各種関連機関など、その情報の選択については信頼のおけるものだけを掲載するという考え方もある。さきに触れた厚生省の報告書では「保健医療福祉情報は、その内容の正確性を問われるとともに、それをどう評価するかという面が大きいので、情報提供者においては、情報システムの整備とともに情報のスクリーニングが必要である。」とある(2)。ここでいう情報提供者は専門職を指すのであろうが、いずれにしても情報のスクリーニングと検閲の区別を明確にしていかなくてはならない。

 その個人や組織のオリジナル・データによって作成された1次資料であれば、その資料の作成方法などの事実のみ付記して、プライバシーを保護しながら全面的に公開していけばよい。しかし、問題となるのはそこで作成したものではない2次情報や3次情報の作成である。他のホームページへのリンクなど、その選択方法の吟味がうまくできない場合は、その情報の選択に明確な基準はないこと、あるいは掲載している場合はなぜそうしているのかを明記することが必要である。情報提供する側は、責任の範囲を宣言することも利用者への配慮になる。たとえば、「本ホームページで提供される全ての情報に対して、それらの情報を利用することから生じる損害に対する一切の責任を負いません。」などと明記する。

 一方で、そのような情報選択の能力をやしなう機会も重要である。コンピュータを使用する能力だけではなく、情報を批判的かつ客観的に分析、評価できる能力と情報発信する能力をあわせた、情報を総合的に活用する能力である「情報リテラシー」の重要性である。そのためには、統計学や調査の方法論など、データや資料の作成や分析の手続きについての知識など情報を見る能力がますます重要になってくる。

 

5.情報通信への依存

 医療の面では、近年進められてきている遠隔医療(25)(映像を含む患者情報の伝送に基づいて遠隔地から診断、指示などの医療行為及び医療に関連した行為を行うこと)などによりますます情報化が推進されていくことが予想される。これに関する報告書でも指摘されているように、医療機関と家庭間の遠隔医療においては、その注意点の第1として「遠隔医療はあくまでも在宅医療の支援であって、これが主な医療形態ではない。遠隔医療を実施することによって、本来の在宅医療が行われなくなるようであれば、遠隔医療は実施すべきでない。」と述べられている(25)。

 医療機関のみならず、情報通信の活用がかえって患者、障害者、高齢者などとの直接のふれあいを妨げないようにする必要がある。それは、人々のふれあいの代替手段ではなく、人々のふれあいや助け合い、協力の可能性を広げる手段として用いられるべきである。たとえば、高齢者のネットワークは、危機管理的なことは2次的なもので、むしろ、その能力が埋もれないように活用するという積極的な意味こそが求められているのである。情報化がすすめば人と人の接触が増加するというのが情報化の本来の目的である。

 

6.セキュリティ

 プライバシーを守る権利から、患者や障害者などの個人情報が、通信途中で第三者に盗み見られたり、直接サーバに侵入されデータを改ざんされたりすることのないような方法がとられなければならないことは当然である。暗号化技術の導入やファイアウォールの設置などとともに適確な運営・管理ができるシステム管理者が必要となる。各端末においても、誰がデータを見たり修正・追加ができるのかその権限の問題がある。

 とくに、遠隔医療などでもいわれることであるが、家庭でも家族には見られたくないものがあるという配慮が必要になってくる。同じコンピュータを複数で使っている場合に自分のものを見られないようにする技術もできてきている。しかし、家庭のみならず、職場などさまざまなところで、パターナリスティックな態度によって個人情報にアクセスしようとする場合がないとも限らない。これもプライバシーや自己決定権などに対する意識の変革が求められるところである。

 

7.It's up to us.

 セキュリティの問題とも関連するが、インターネットはもともと利用者相互の信頼関係の上に成り立っていたオープンさがその大きな長所であり、その目的であった(24)。技術的な面で個人が傷つけられないように努力するのはもちろんであるが、利用する側で自分を守る努力もまた必要である。情報における自由と責任の自覚が必要である(26)。アメリカ発ということもあって発想が個人主義的で、It's up to you. という面が大きい。その上で基本的に性善説的に運営されているともいえよう。情報発信をするということは同時に傷つけられやすさ(vulnerability)を受け入れることになる。自分で乗用車のハンドルを握る自由により、事故に対しても自分で責任を負うのと一緒である(26)。さまざまな反論や誹謗中傷を受ける可能性もあるし、不正確なあるいは嘘の情報提供を受けることもありえる。必ずしも平和や愛や相互理解などといった理想的な方向だけでなく、ジェラシーや憎しみをも生みかねない(27)。

 プライバシーの公開、いやがらせの電子メール、ポルノ情報や詐欺などの有害なビジネスとさまざまな問題が生じている。一歩間違うと障害者や患者などさまざまな弱者やマイノリティに対する偏見や差別が横行する可能性もある。実際そのようなホームページは存在する。

 そのため情報倫理についても議論が続いているし、インターネットは危ないという危機説までもある。そこで必要なものは個人を守るセキュリティ技術の進歩にくわえて、ひとりひとりのひとを傷つけたくないという意識である。そういう意識を持っている人だという信頼を裏切らないように振る舞うことが大切である。村井(28)は、インターネットでは少数の権威ある人間や国家権力ではなく「みんな」が力を合わせた安心と保障のメカニズムを形成してきているからそこに危機感や疑いはないという。

 もし助けを必要とする人がいれば、助けてあげるという相互援助のしくみをつくることが重要である。そして、助ける人もまた助けられる。これはセルフ・ヘルプ・グループにおけるヘルパー・セラピー効果と同様であり(29)、セルフ・ヘルプ・ムーヴメントもまたインターネットの歴史とともにある。援助する側の人も自分の生き方について考えさせられるところがあり、自己のアイデンティティを確認することになる。情報を発信するには、全体として自分と社会のかかわりかたについて考える必要がある。グローバル・ブレインの脳細胞を構成している一員であるといった考え方である(27)。

 しかし、この点、日本人は情報発信の能力が高くないという意見もある(30)。また、日本人にとっては、かならず誰か目上など上の人がいてその人のために漠然といいことをしようとするくせがついているといういい方もある(24)。村井(4)は、インターネットの持つ意味はアメリカと違っていて、強い権威と管理主義の歴史を持つヨーロッパやアジア(とくに日本)では、個人の責任を考えていくきっかけになると述べている。また、山上(30)は日本の大学医学部を例として、「インターネットの基本は分散型思考だと思います。従来の日本の思考は、いわゆる中央化の思考ですね。例えば大学の医局は、頂点に教授がいて、教室がピラミッド構成になっています。インターネットは、それぞれの研究者が自己責任と完結性を持って研究をして、それぞれの成績を出して、横の連携を持つ分散型の世界だと思います。日本の医学部でインターネットや情報化が思ったように進展しないのは、特に医局管理運営機構が分散型を嫌っているからでしょう。」、また、「現在の日本社会がその政治的、経済的、そして学問的にある種の閉塞感と国際的孤立感を感じさせるのは、職能団体の閉鎖性、議論をよしとしない権威主義、そして、専門家意識ではないのであろうか。」と述べている。

 河村ら(30)が指摘するように、インターネットは民主主義の実験ともいえて、専門家におまかせの官僚主義、経済優先の商品化の資本主義などとどう向き合うのかが問われている。健康や福祉についても、専門家でもだれでも関係なく、自分が気づいたことを自由に、信頼を損なわない範囲で、情報発信すればよい。そうして次第にネットワークができていく。そして、自分が幸せになれるようなNPOのようなさまざまな新しい社会づくりに参加していく。それが可能となる技術としてインターネットを利用できるかどうかは、It's up to us. である(27)。

 

 

IV.おわりに

 

 インターネットはさまざまな可能性を秘めている。情報発信の機会を得るという個人の尊重や、より直接的な民主主義やコミュニティでの問題解決などについて触れたが、これらはある意味では押しボタン式の民主主義という結果に終わる可能性もある。個人の意見が影響力を及ぼせないとか、ヨコの議論が成立しなかったり、一方的に強力な上からの判断を求められる可能性である。すなわち、ひとりひとりが国やマスメディアといった強大な力を持つものと対等になることもできるし、またその反対につねに人を監視し、個人の情報を管理・抽出し、コントロールするための手段にもなりうるのである(18)。

 とくに保健医療福祉の領域では、意志決定の力を持つものと持たないものの格差によるさまざまな弊害を是正していく方向で利用できるようなしくみづくりが重要である。それこそがインターネットという新しいメディアの可能性である。軍事目的というきっかけと反戦や反体制の技術者たちが育て上げたという両面の歴史をもつが、「Power to the People」を目的として発展してきたこと(32)に注目したい。今後の課題としては、そのための有効な利用法について、具体的な例の検討をすすめ、そこにある運営の特徴を明らかにし、かつそれを支援しあうための情報発信をしていくことがあげられる。

 

文献

 

1)厚生省:保健医療情報システム検討会中間報告.1994.オンライン,アクセス 1998-08-13,http://www.umin.ac.jp/govreports/strategy21/

2)厚生省大臣官房厚生科学課:保健医療福祉サービスの情報化に関する懇談会報告書〜健やかで豊かな暮らしを支える情報化〜.1995.オンライン,アクセス 1998-08-13,http://www.ncc.go.jp/mhw/johokon/0jis/indexj.html

3)大江和彦編:医師・医療関係者のためのインターネット(改訂第2版).中山書店,1995.

4)村井純:インターネット.岩波新書,1995.

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7)関根千佳:障害者への電子的情報提供のあり方−パソコン通信/インターネットを中心に−.総合リハビリテーション,24(1),13-16,1996.

8)薗部英夫:障害者と情報通信ネットワークの可能性と課題.総合リハビリテーション,24(1),7-11,1996.

9)今瀬政司:電子ネットワークを活用した情報ボランティア活動−インターネットとパソコン通信.地域開発,368,8-16,1995.

10)Gore, A.: Computers, networks and public policy: infrastructure for the grobal village. Scientific American, 265, 150-153, 1991.

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12)岡部一明:インターネット市民革命−情報化社会・アメリカ編.御茶ノ水書房,1996.

13)J.リップナック,J.スタンプス:ネットワーキング−ヨコ型情報社会への潮流.正村公宏監修,社会開発統計研究所訳,プレジデント社,1984.

14)播磨靖夫:知縁社会のネットワーキング,柏書房,1986.

15)山手茂:福祉社会形成とネットワ−キング.亜紀書房,1996.

16)山上征二:インターネットによる医療情報発信.(日本醫事新報,1997.3),オンライン,アクセス 1998-08-13,http://www.hosp.msic.med.osaka-cu.ac.jp/HDSTAFF/yamagami/intecn1.htm

17)中山和弘:ホリスティックヘルスの概念と問題点.園田恭一,川田智恵子編『健康観の転換−新しい健康理論の展開』,東京大学出版会,51-70,1995.

18)栗原幸夫,小倉利丸編:市民運動のためのインターネット−民衆的ネットワークの理論と活用法.社会評論社,1996.

19)金子郁容,他:ボランタリ−経済の誕生−自発する経済とコミュニティ.実業の日本社,1998.

20)世界医師会総会:患者の権利に関するWMAリスボン宣言.1981(1995修正).

21)郵政省:グローバルな知的社会の構築に向けて−情報通信基盤のための国際指針−.電気通信審議会答申,1995.オンライン,アクセス 1998-08-13,http://www.mpt.go.jp/policyreports/japanese/group/internet/kankyou-2.html#kanousei内に引用箇所が抜粋

22)日本障害者協議会(国連事務局政策調整部・持続発展部 長瀬修訳):障害者の機会均等化に関する基準規則.("Standard Rules on the Equalization of Opportunities for Persons with Disabilities")1994.オンライン,アクセス 1998-08-13,http://www.vcom.or.jp/project/jd/Links/doc5-ja.html

23)竹中ナミ:プロップ・ステーションの挑戦-「チャレンジド」が社会を変える.筑摩書房,1998.

24)英 司郎:他:ネットワーク関係者から見たインターネットの光と影.ビジネスコミュニケーション,32(10) ,29-36,1995.

25)開原成允,他:平成9年度厚生科学研究補助金・情報化技術開発研究事業「医療情報の総合的推進に関する研究」遠隔医療研究/総括班報告書.1997.オンライン,アクセス 1998-08-13,http://square.umin.u-tokyo.ac.jp/enkaku/96/Enkaku-RepSoukatu-nof.html

26)会津 泉:インターネットの進化発展の意味.情報処理,36(10),903-912,1995.

27)Berners-Lee, T. : Realising the Full Potential of the Web. the W3C meeting, London, 1997.オンライン,アクセス 1998-08-13,http://usa-1.w3.org/1998/02/Potential.html

28)村井純:インターネットII−次世代への扉−.岩波新書,1998.

29)アラン・ガ−トナ−フランク・リ−スマン(久保紘章監訳):セルフヘルプグループの理論と実際−人間としての自立と連帯へのアプロ−チ.川島書店,1985.

30)山上征二,宮武明彦:インターネットは医療をどう変えるか.(SCOPE, 1998.2),オンライン,アクセス 1998-08-13,http://www.hosp.msic.med.osaka-cu.ac.jp/HDSTAFF/yamagami/98scope2.htm

31)河村則行,黒田由彦:マルチメディアとインターネット−マルチメディアの社会学のために−.情報文化研究,創刊号,73-88,1995.

32)古瀬 幸広,廣瀬 克哉:インターネットが変える世界.岩波新書,1996.